テレビ広告で描かれた外国人像に関する実証的研究
〜テレビ広告の内容分析調査〜
日吉 昭彦
1996年6月
この文章は、1996年6月8日に日吉が日本マス・コミュニケーション学会で口頭発表した時の録音テープをおこし、提示した画像とともに紹介するものです。アドバイスをいただければ幸いです。
記録
本日は、『テレビ広告なかで、どのように「外国人」が表現されているか』という内容分析調査を行いましたので、その結果をご報告いたします。現在、日本で生活する外国人が増えつつあるなか、国内では多方面にわたり国際化の必要が叫ばれていますが、そこでテレビというマスメディアが、果たすべき役割を、表現の在り方という点から、考えていきたいと思います。
昨年の阪神大震災では、外国人被災者をはじめ、震災弱者に関する情報の提供に関して、速報性や情報の量など面から、不十分であったことが指摘されてきました。高度情報化社会が進展している現代日本の「国際都市とよばれる神戸」の報道からは、マスコミュニケーションならではの果たしえた重要な貢献とともに、私たちが安全に、そして、安心して生活するうえで求められるべき、「公正な表現」とは何かということについて、考るきっかけともなっていたといえましょう。
人種問題の研究が盛んなアメリカでは、1970年代に、「黒人や多くの民族的少数派は、メディアで表現される機会を奪われている」という問題意識から、多くのメディア表現の実情をさぐる実証的研究が行われています。その一つの結果に、たとえば、John F. Seggarらは、10年間にわたって行ったメディアの人種表現の比較研究において、『公民権運動を背景に、黒人や多くの民族的少数派が表現される機会は増したが、公民権運動さえもキャンペインとして捕えるメディアの姿勢のなかで、正しい人間像が表現されたとは言えない』、という結論を導いています。
現在の日本では、世界の動きや異文化への関心が高く、海外を映しだす番組は少なくありません。しかし、アメリカのニュースの割合が多いこと、偏見的な視線によるアジア報道などの例にも見られるように、日本人の視点によって作られた番組の「国際」観については、批判的な意見も出されています。
これまでの日本人はよく「閉鎖的である」と言われることも多かったわけですが、島国である日本の歴史を考えてみても、異なる者への「価値観」が根底にあるとも考えられますし、それは一つの文化の様式でもあります。メディア表現はいわば、この価値観がある形をとって浮かび上がったものであるわけです。そしてそれは、マスコミュニケーションの広い影響力を考えると、時代時代に的確で思慮ある価値観を自己判断し表現してゆく必要があります。
日常生活では、外国人と接する機会は、今後、ますます増えてくることが予想されるなかで、「受け手の円滑なコミュニケーションと共生を実現するメディア表現」のありかたを模索する必要があるでしょう。そのためには、人間として共通してもつべき人間愛を基盤に、異なるものは異なるものとして正しくその人間像を伝えることが、まずは条件となるとなるのではないか、という問題意識で、この研究を始めたわけです。
テレビ広告は、生活に必要なものを訴えかけるメッセージでもありますから、誰もが生活に必要な正しい人間像と正しい理解の必要も訴えてほしいと思いますし、現状の外国人像から、テレビ広告の形をとった現在の「国際観と人間観」というものを浮かびあげて、「公正な表現」の参照するべき意識の基盤が、明らかになるきっかけとなればいいと思います。
次に調査の概要と方法についてです。
ビデオテープで放送内容を録画、観察し、統計的処理を行いました。
録画した資料は、昨年の夏、一週間24時間分の民放キー局5局の全放送内容で、そこから、週末土日2日間の全テレビ広告と、一週間分のプライムタイム(夜の7時から9時まで)のテレビ広告を対象として分析しました。
今回の報告は主に、週末のテレビ広告の結果からです。
24時間分の、テレビ内容の分析調査の事例は少ないですが、受け手の社会生活時間の在り方や変化にテレビ内容も適合している必要があると思い、24時間の分析を行いました。
時期ですが、広告は季節により内容が異なるものですが、5年前に、FCT市民のテレビの会の報告に、テレビの外国人像の内容分析調査があり、やはり夏に行われていたことも考慮して、ある程度の比較研究が可能なように設定しました。この5年間で、国内で国際化をめぐる環境変化は大きく、定期的に内容分析を行う必要があります。
次に調査項目と結果です。
時間の都合から、データに照らし合わせながらの報告が難しいため、図像を提示しながら、結果の要点をまとめる形をとりたいと思います。レジメには結果の表を載せました。後にご覧いただけたらと思います。
まず、番組を種目別に分類し、放送日/時間帯、そして「サービス内容による広告業種」を記録しました。
テレビ広告は、5局合計の本数で8074本、時間にして40.32時間で、全放送時間の16.8%にあたります。
サービス内容ですが、こちらのグラフをご覧ください。
最も多かった広告は「飲料類」の広告で、以下「食品類」「流通/小売」「酒類」「サービス/レジャー」などとなっていました。
濃い部分が「食」に関する広告で、全体の約3割、こちらの赤い部分が「家庭」に関する広告で約2割を占めています。
次に、外国人および外国が登場した広告ですが、こちらのグラフにあるように、外側が外国人登場広告、そして内側が特定の国名前等がアナウンスされた外国場面のある広告です。
広告のなかでは人の国際化が進んでいるとも言えるようですが、では登場の仕方を見てみます。
こちらの例をご覧ください。
個別の登場人物に対して、大きく4つ「白人登場人物/黒人登場人物/アジア人登場人物/その他の登場人物」に分類しました。これは広告では出生や出身などの情報があまり提示されないため、このように分けざるを得なかったと考えていただきたいと思います。そして、性別で分け、年齢層を6段階に分けました。
そして、こちらの登場人物のように「主役」として登場しているか....
あるいは、こちらは日本人登場人物にそう形ですが「脇役」であるか....
こちらのように「背景で登場する」役割となっているか、さらにヒーローか悪者かを分けました。
さらに登場場面が、日本なのか外国なのか、あるいはこちらのように絵やアニメの中なのか。そして、そこは、このように「都市の公園」なのか、あるいは、こちらのように「自然」なのか、を分類しました。
さらにこちらの登場人物はボディーランゲージを使っているようですが、「言葉を使う」かどうか。そして、こちらはウェイターですが、職業はどうか。
そして、上には日本人といっしょに登場しているものがありますが、外国人のみが登場するのか、日本人と登場するのか。日本人と一緒に登場する場合、日本人と外国人は一対一で登場しているか、このようにどちらかが多くなっているか。そして日本人とコミュニケーションをとるかどうか。
また、それぞれについて広告された時間/広告業種を掛け合わしてあります。
まず、全体の特徴ですが、人数を見て見たいと思います。白人登場人物が多くなっていまして、全体の5割以上にも及んでいます。
そして、どの登場人物も男女差が大きくでています。白人登場人物で男性が女性の約2倍、黒人登場人物は総数では少ないですが約4倍になっています。それに対してアジア人登場人物は女性が多くなっているのが分かります。
以降、グラフは、わかりやすいように、上で分けた「男女/人種」別内の割合で示します。
年齢ですが、手前から「子供/10代/若者/中年/初老/老人」と分けましたが。赤の部分「若者」が圧倒的に多くなっています。特にアジア人女性登場人物と黒人男性登場人物は「若者」であることが多い。また「子供」の登場人物は「黒人女性/その他の女性」で多くなっています。また、少ないですが「中年」では「白人男性/アジア人男性」のとき多く、高年齢のものはほとんど登場していません。
次に役割ですが、目立つのは「白人登場人物」に「主役」が多いこと、アジア人登場人物に「脇役」が多いことです。また黒人登場人物は「背景としての役割」が多く、少ないんがら「黒人/その他の男性」はヒーローとしても登場しやすい。
次に発話言語ですが、言葉を話さない人物が多いです。若干ながら男女差もあるようです。
それでは、結果の数表を総合して、各外国人像ごとの特徴を、図像を示しながら見ていきたいと思います。
白人登場人物です。
この例に示されているのは、現代消費文化、そして消費生活の「担い手」として登場する白人像です。そこには「個人」の姿が見られ、「主体」を演じている。一方では、日常から離れた「祝祭」的なコンテキストのなかで、文化的な構築物や社会から、部分的に取り出された、行為や職業、あるいは存在だけだけで提示された意味内容を提示しています。
もう一枚です。
白人登場人物は人数が多かったのですが、そのぶん、ほかの登場人物にはない多様さもありました。「家族」や「友人」をもつのは「白人登場人物」だけともいえます。職業にしても同様でさまざまですし、このように職業として日本人とコミュニケーションをとるものも「白人登場人物」なのです。
登場するCMの業種も、比較的平均的に登場しています。
この登場人物は、合成画像で切り抜かれて登場していますが、民族衣装的な服装で、背景ではヨーデルがかかり、というものです。白人登場の場面をみると、はり紙やコンピューターグラフィック、アニメーションなどで登場することが多くなっています。つまり、明確な場所と対応していません。
単独で登場しやすいので日本人とコミュニケーションをとる白人は少なく約1割。単独で消費生活を提示する白人は、主人公や準主人公として登場することは多いですが、ヒーローとして登場することは少ないです。
白人は、極端ではないが、主、あるいは個を主張しているのです。
多価値を提示し、極端さも、とりたてて見あたらないのですが、白人は普通の生活を映しだされているのでしょうか。
性別を見ると、白人男性は女性の2倍近く登場し、年齢は6割が若者である。特に男性よりも人数が少ない女性は7割近くが若者となっていて、普通であるとはいえない結果になっています。
次に、女性の人数が多いという点で、なにか特徴が見られるだろう、アジア人登場人物を見てみます。女性登場人物だけをみると、外国人登場人物の女性の9割は白人とアジア人でしたが.............
一つはこれです。
そしてもう一つはこれ。この中央の男性が主人公で、中国の近代化を自転車で見てまわるという文脈です。
この例に示されているように、一度に多くの人物が登場し、あるいは集団で一つの人物像を表現することで、なにかアジアらしさを「表現されている」のです。アジア人という枠組みや、歴史/伝統といった枠組みが人よりも先にたち、個人の感情や意思が見えてこないのです。
もう一枚です。
カットの細かい映像によるドキュメント番組的な作りには、もの珍しさの一方からの視線が感じられます。文脈は常に「近代」と「伝統」が、そして「アジア」と「北側」が対比され、異文化としてのアジア/市場の発展するアジアが強調されます。
アジア人女性は「ファション」と「酒類」のCMに多く登場し、限られた広告にしか登場しません。そこからか、アジア人女性は若者である割合が非常に高く、そのほかの登場人物と比較して男女あわせても、最も高く9割近くに上っています。
理解できた女性の職業をみると、非常に少ない。人数は多くても、多様性は認められないといえます。
生活紹介的なものが多くなることから、主人公が少なく、準主人公が多い。アジア人女性は日本で登場する割合も高く、日本人と一緒に登場する割合も最も高くなっていますが、コミュニケーションをとることは少ないのです。ほかの登場人物と比較しても最も少なく1割未満になっています。
5年前の市民のテレビの会による調査と比較したところ、アジア人登場人物は倍増しているのですが、主人公の人数には変化がありませんでした。
この5年間で、そして国内外でアジアとの関係が取り沙汰されていますが、「主体の見えないアジア人像」は、一つの改善の余地のあるポイントといえますし、国内で生活する多くのアジアからの在日外国人と、日本人の、互いの理解のきっかけにはなるのではないでしょうか。
ここで、在日外国人が登場する広告を見て見ましょう。
一つは日本で活躍するタレントなどが登場するものがあります。自国と連絡をとりながら、アイデンティと適応が表現されていますが、日本人とコミュニケーションをとる広告は少なかったといえます。
また、ボランティア支援の広告の4つの場面の例ですが、「夜のコンビニと公衆電話、アパートの灯り、白人女性のボランティア、再び高層ビル」というように、「在日」であることから「生活する」人間像が欠けていることが見えます。
これはどの登場人物にもいえることです。
しかし、「生活する」ことが、「風俗/生活」場面でとられられていることの多かった、「その他の登場人物」には、極端ですが........
これはカメラで捉えている図像です。
このようにほかのメディアで表現されやすいものが、再び広告になってゆく。では、メディアで表現されなかったものは......。
黒人登場人物を見てみましょう。
黒人は「スポーツ/踊り/音楽」というメディアで再生産されたステレオタイプ像がここにはあります。黒人の男性の職業はほとんどが「スポーツ選手」でした。
ヒーローと夢が結び付くメディア像はすばらしいものですが、メディアで表現されなかったものは消えてゆくのではなく、その像を適用される市民の側だと考えられるわけですから、常に複数の観点からの人間像を提示していくことが必要となります。
現実にこのような広告も、学校が休みである週末に放映されているわけです。
「カレーヌードルの広告で、インド人に囲まれおびえる日本人」
「剣道着を着て、日本人とうまくコミュニケーションがとれない白人」
「殺虫剤の広告で、蝿の格好をしたものに襲われる日本人」
「女性だけでなく、性的対象となっている白人男性」
まとめに入りたいと思います。テレビ広告は、宣伝という個別の目的を持ったメッセージであり、製品やサービスが説明されるわけです。しかし、非常に短い時間のなかで一つの筋をもつテレビ広告は、巧みに操作された象徴を通じてイメージを提示し、私たちが気付かないような、あるいは、受け流してしまうようなやり方で、現在風の象徴解釈を放送しているわけです。この根底には価値観の現在形の一つの姿を見ることができます。
テレビ広告での人間像は、象徴操作を通じた、特殊な表現の形態ではありますが、人間像の持ち合わせる違いを、製品やサービスに投影して定義することになるテレビ広告は、正しい人間の姿をより強く求められるものでもあります。人間のコミュニケーション活動の表現も多く、日常生活とテレビ広告の関係は深いものです。
テレビ広告の外国人像を通じて、現在のマスコミュニケーションの国際観を、そして現在の日本の国際観を、考えるために、この調査を行いました。人の国際化のなかで、受け手の円滑なコミュニケーションと共生を実現する機能を持ち合わせているかどうか。問題意識のはじまりはここにあります。
今後、多メディア化にともなって、テレビメディアの大きな影響といった機能は変化するとも考えられます。ここで、根底にある人間に対する意識を検証しておくことは、今後のより多くの表現者による公正な表現の在り方を考える上で必要ではないかとも考えました。
次のような指摘ができる思います。日本のテレビ広告と現在の内なる国際化との関係は、表現における人数や場面の反映のみではなく、その意識が明確にされなければ、一過性の現象にとどまり、相互理解を促進するきっかけにならないでしょう。
課題としては、現在進行中のこの問題を扱うには、継続的な調査と比較研究が必要です。一方、現在は多メディア化やそれに伴う商業主義的メディアの在り方、受け手と送り手の関係の変化が問われています。こういったメディアそのものの変化も視野に入れておく必要もあるでしょう。
このような場における近代市民にとっての公正な表現とは、規制によって受け手の理性的な判断を問う場を失わず、また過度の商業主義によって固まったメインストリームを再構築することなく、多角的な視点から、全体的な人間像を出発点として表現してゆくことではないでしょうか。
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