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Duce h.p... Research Announcement


テレビ広告の中の「外国人」登場人物像とその変化
〜 2000年夏の内容分析調査結果より 〜

日吉昭彦(成城大学大学院)

成城大学大学院研究会
2001年5月22日(木)
トーク原稿




本稿は、2001年5月に行われた成城大学大学院コミュニケーション学専攻科における研究会での、筆者の研究発表の記録(トーク原稿)です。
この発表は、2001年に関東社会学会が発行する「年報社会学論集」に掲載していただいた「テレビ広告のなかの『外国人』登場人物像とその変化」のデータをもとに、論文では触れていない知見を中心に報告したものです。
本稿で「何%/何割」などの記述は、別稿「テレビ広告のなかの『外国人』登場人物像とその変化」の資料を御参照ください。
みなさまのご意見、ご感想をお待ちしております。





1. はじめに

本日は、お手元のタイトルにあるように、「メディアの内容分析」という手法により、テレビ広告に登場する「外国人」の登場人物やモデルなどが、どのような描かれ方をしているのかということについて、調査した結果を紹介します。そして、過去の調査研究と比較検討しながら、「国際化」をめぐる社会環境と「外国人」の描かれ方の変化について報告いたします。

1990年に、FCT(市民のテレビの会)という市民団体が、テレビ広告の「外国人」登場人物を詳細に分析し、テレビの中は「白人」登場人物に偏っている、という調査報告をしています。そこから、テレビ広告には「欧米白人社会だけに顔を向けた国際感覚がある。(こうしたメディアの外国人イメージを通じ、人々が)世界の国々、そこで生きる多様な民族、文化を現実としてみつめることが困難となり、その結果偏見と差別が助長される」として、「人権」の思想の観点からメディア批判を行っています。

1990年代の日本は「国際化、グローバリゼーション、ボーダレス化」などの社会変動が見られてきました。在日外国人の増加傾向など「人の国際化」の傾向は最も顕著な傾向と言えるでしょう。こうした傾向にともない、国内では多文化の共生や相互理解などが求められています。そして、マス・メディアには、多様な文化的背景を持つ人々同士の理解を深めたり、異文化に対する理解を深めたり、情報提供を通して社会的な適応を助長するなど、こうした役割がますます重要になってくると考えられます。こうした変化を背景に、FCTの10年前の指摘は、いまだ示唆的で、「内なる国際化」といった文脈においても、この指摘をとらえ直す意義があるでしょう。

テレビ登場人物の「エスニシティ」に着目した研究としては、1970年代にアメリカでよく行われていた「黒人」表現の内容分析研究が多くのデータを残しています。
私は、こうした研究には、その背景にあった公民権運動という現実の運動が、メディア・イメージの世界に現実性をもって反映してきたかどうか、という問題意識があったと考えています。そして、公民権運動という社会運動の成果をメディア表現という場で問い直した、という見方をしています。

日本においても「国際化、グローバリゼーション、ボーダレス化」などの社会変動のなかで、「外国人」は主要なアクターとして着目されています。
「メディアは現実を映す鏡」とよく言われますが、テレビ広告のようなイメージの世界でも、「外国人」を時代のアクターとして分析する意義があると思います。
この分析を通じて、「国際化」という社会変動について、メディア表現という場で問い直すことができると思うからです。

FCTは、1990年に、一週間にわたって民放5局のゴールデンタイムの時間帯のテレビ広告を対象に内容分析し、期間中の放送に登場した全「外国人」登場人物の「エスニシティ」や「性別」「年令」「役割」などの分布を分析しています。いわば、「外国人」登場人物の人口統計のようなものです。
そこで比較検討できるように、「外国人」登場人物の「エスニシティ」や「性別」「年令」「役割」を項目の中心に、共通項目を設けて、1995年/2000年に同じ時期の同じ時間帯の放送を対象に継続調査を行いました。


2. 結論

結論を最初にまとめて言っおきたいと思います。

1.1990年の調査では「白人系」登場人物に偏向しており、テレビ広告は「欧米志向の傾向」が見られる。
この背景には、明治以来の「欧米崇拝」的「国際観」がある。

2.1995年の調査では「アジア系」登場人物が増加し、多様性が見られるようになったが、あまり重要な役割をもたない「アジア系女性」の大量の出演が、実体の見えないアジアンイメージをテレビ広告に追加しただけった。
この背景には、バブル経済後の「外国人=労働者」という「国内の経済発展に限定して関心が持たれた」の「国際観」がある。

3.2000年の調査では、再び「白人系」登場人物中心の描写に戻り、テレビ広告はあい変わらず「欧米志向の傾向」が見られる。
この背景には、構造改革や自由化の流れのなかで、コマーシャリズム的にとらえられたグローバリゼーションといった「覇権迎合型」の「国際観」がある。

3期間の変化から、外国人イメージの形成に関して、「国際化」の変化が「多様な人間像や、現実社会での人間像」の反映に結びついたとは言いがたい。
よって、現実に進行しつつある「国際化」が、より広い意味での「人間観」につながり、それらがメディア・イメージの世界にまで昇華しているとはいえない。

以上が、調査結果の要点になります。

3. 調査の方法

では、調査方法などについてお話します。

調査対象は、「 1週間分の民放5局の、19時から21時に放映されたテレビ広告」を対象として行ったものであり、「夏」の時期のテレビ広告です。

1990年の調査はFCTが行ったもので、95年/2000年の調査は私が行いました。

3期間における比較検討をふまえ、項目間で共通の内訳を用いるように調査の設計しています。分類上の基準ついても同様です。

まず、
サンプルからテレビ広告のみを分類し、放送日/放送局/広告サービスの内容/「外国人」登場人物の有無などをコーディング表に記録しました。

次に、
「外国人」登場人物が見られるテレビ広告だけを抜粋し、登場したすべての登場人物に対して、与えられた役割としての「人種」/「性別」/「年令」/「役割」をコーディング表に記録しました。

項目の詳細は、資料等を参考にしていただきたいと思いますが、
「人種」項目については、「白人系」「アジア系」「黒人系」「その他」に分類。
「性別」項目は「男女」、年令はおおむね5段階です。
役割に関しては「主人公/準主人公/脇役」の3段階で、広告表現の役割の重要度を分類しています。資料の例の画像にあるような分類です。

内容分析における「信頼性の確認」ですが、
FCT調査は「団体」が行った調査であり、複数のコーダーによる調査が行われています。95年の調査は私が単独で行ったもので「確認」はなされていません。
2000年の調査は、4名のコーダーが、項目別に、ランダム・サンプリングで選ばれた対象の一部をコーディング作業をし「信頼性の確認」がなされています。

4. 「外国人」登場人物のみられるテレビ広告についての調査結果

まず、「外国人」登場人物のみられるテレビ広告についての調査結果を紹介します。

サンプルとなった放送時間のうち、「テレビ広告」の割合は、17%後半から18%後半となっています。
テレビ広告のうち「外国人」登場人物を含むものの割合は、1990年で「18.75%」、1995年「14.59%」、2000年で「21.22%」となっており、2000年の調査が最も多い傾向が見られました。これは、3つの調査以外を参考にしても、同様で2000年調査が最も多い傾向です。

対象となった「テレビ広告」の「サービス内容」と、「外国人登場人物の有無」ですが、「サービス内容」の内訳と「外国人」登場人物の有無は有意な関連が見られ、特定サービス内容の広告に「外国人」登場人物が出演しやすいことが分かります。
そこで、1995年から2000年にかけて「外国人」の登場という点で変化が見られたテレビ広告サービス内容をあげてあります。「流通/小売」「化粧品」「自動車関連」「金融/保険」などなどのテレビ広告で、外国人登場人物が95年から2000年にかけて増加しています。
これらのサービスは、おおむね「産業のグローバル化」に関わるような業種のサービスと考えていいかもしれません。

「放映日/放送局別テレビ広告本数と「外国人」登場人物の有無」を整理すると、年度によって「放映日と放送局ごとのテレビ広告本数」には違い見られていますが、「外国人登場人物の有無」については、「放映日と放送局」の関連が見られませんでしたので、「ゴールデンタイムのテレビ広告」として、まとめて集計することにしました。

5. 登場人物ごとの分析

次に全登場人物を分析した結果を紹介しますが、時間の関係上、データを紹介することはせず、年代ごとの表現の特徴と変化、「国際化」をめぐる時代背景を説明します。
「変化がある/偏っている/関わりがある」というような表現に関しては、「統計的な関連や有意差」が確認されたものであります。また、時代背景とメディア表現は直接的な関わりではなく、一つの分析枠組みです。


 5-1. 1990年のFCTの調査では

※登場人物は「白人系」登場人物に偏っている

という結果であり、全体の84%近くが「白人系」登場人物でした。

この時期までに行われたFCT以外の調査等を参考にしても、こうした傾向はどの調査でもおおむね同じ傾向です。

この時期は、天安門事件やベルリンの壁の崩壊(1989)、湾岸危機(1990)などの社会問題がありました。日本は経済発展を謳歌し、冷戦後の枠組みの変化のなかでどのような世界観を持つのか、という点で「日本の国際化」が注目された時期であります。
日本が「大量出入国時代」というような時代を迎えるのも、1990年の特徴です。「日本人出国者数」がバブル崩壊で減少するまでピークを迎えるのも1990年でした。

メディアの人間観についても、「世界の人々をどうみるか」という関心で調査が行われたのはごく自然なことです。「環境造成力」や「疑似体験」というメディアの機能から、人間表現における「現実性」が計られました。

こうした研究では、「外国人」登場人物を、日本のテレビの「外国要素」としてとらえ、「白人系」登場人物への偏向は、テレビ広告の欧米偏重傾向のあらわれである、といった説明がされています。ただ、「イデオロギーから協調社会へ。平和・共存へ」という時代の流れから、こうした傾向が見られるとすれば、「欧米志向」も肯定的にとらえてよいでしょう。

しかし、FCTの報告書にも「非白人系登場人物は、人種・国籍の独自性や特異性をことさら強調し、アジア系はエスニックな部分を、黒人系はセクシュアルな部分を誇大表現している」と書かれています。つまり、「中心-周縁」モデルのような、「差異化」を軸にした「欧米志向」であったわけです。

こうしたことをふまえると、明治時期の文明開化にみられたような「欧化」という考え方や、戦前まで見られたアジアや南方に対する偏見的な視線と大差がありません。日本の国際社会への参入、つまり「近代化」という現象のなかで「作られた外国人観」が、つい最近のメディア・イメージに見られたわけです。

 5-2. 次に、1995年の調査に触れます。

「外国人入国者数」も1990年は一つのピークになっています。この6割はアジアからの入国でした。
日本の経済発展による労働力不足は、1980年代中盤から「在日外国人の増加」傾向に結びつきます。1990年には「出入国管理及び難民認定法」が改正法され、日系人の就労の規制が緩和されるなど、「ニューカマー」と呼ばれる人々が「人の国際化」という「国内の国際化」の極めて重要なアクターになりました。1995年までに「在留外国人」は人口の1%を超えています。

テレビ広告のほうはどうかというと.....

1.「白人系」登場人物は64%になり、一方、「アジア系」登場人物は90年で6%だったものが、20%近くに増加しています。つまり、エスニシティ間の多様性が見られてきたわけです。

2.一方、1990年ではどのエスニシティでも「男女の人数差」というのは見られなかったのですが、1995年の調査では「男性が女性の倍近く」登場するという傾向が見られています。
ところが、「アジア系」登場人物だけは例外で、「女性が男性の倍近く」登場するという結果でした。
そして、そのほとんどは「若いアジア系の女性」でした。

アメリカのテレビから「Black Is Color of Our New TV」なんて批評がなされたのを思い出します。「若いアジア系の女性」はテレビ広告のニューフェイスとなったのです。

ところで、テレビ広告登場人物は比較的に「若い」人物が出てくる傾向があります。そして、時代が経るにつれ年代も多様化する傾向が見られてます。
ところが、新たに登場した「アジア系」登場人物は、旧来のステレオタイプである「若い」という特徴を強く持って現れたことが分かります。つまり、新しい表現に「伝統回帰」の傾向が見られたことです。

不思議なことに「アジア系男性」は「お年寄り」が多く登場するという印象があります。こちらは別の意味での「伝統」の象徴でしょうか。

「アジア系」登場人物の「役割」に着目すると、この「伝統回帰」の傾向が明確になります。「アジア系」登場人物のほとんどは「脇役」としての役割でした。
実は、なぜ「アジア系」登場人物の人数が増加したかというと、それは背景的に「たくさんの人物が同時に出演」し、「なんとなくアジア」な雰囲気を出すテレビ広告が多かったからなんです。

「Black Is Color of Our New TV」という批評に対して、アメリカの内容分析研究者は、「黒人が白い服を着ているではないか!?」と言っています。これには二つの意味があります。1つは「白人が見たいような黒人像」ということ。もう一つは「黒人でなくてもいいような、役割の重要ではない人物として、大量に出演している」ということです。「白人の言葉をしゃべる黒人」というのは「新たな差別的黒人像」という伝統回帰につながったのです。

実は「Black Is Color of Our New TV」というのはテレビ・プロデューサー(マーティン・マロニー)のセリフで、公民権運動への対応を自己賛辞したものです。これに対してその対応は商業主義的だと批判がされたわけです。

この批判は「アジア系の女性」によくあてはまると思います。
「若いアジア系の女性」は「私たちのテレビのニューフェイス」ですが、「顔の見えないアジア人に過ぎない」のではないでしょうか??
時代のアクターは陰に隠れ、男性の視線に限られた華やかさを演出したのでしょう。

このようにアジア人を「集団」として見る見方は、言ってみれば「悪しき伝統」といえるような戦前の大東亜共栄圏に代表されるような、ねじまがった「国際観」であったり、敗戦を迎えて平和国家の道を歩みながらも、大国の冷戦構造に巻き込まれてゆきながら作られた「東西感覚」のようなものが想起されます。
商業主義的姿勢のなかで、「新たな差別的アジア人像」という伝統回帰につながったと言えるでしょう。

 5-3. 次に2000年の調査です。

1.「白人系」登場人物は70%、「アジア系」が10%と、やや「アジア系」登場人物が減少しています。多様化という点では安定したきたように見えます。

「性別/年令/役割」の観点から、「白人系」登場人物は項目間の関連が見られなくなってきており、「男女が平等に、様々な年令で様々な役割で」つまり「多様な描写」が見られるようになったということができます。

一方、「非白人系」の登場人物に関しては、95年からさほど変化が見られず、ジェンダー・バイアスはむしろ強まり、「若年傾向」を保ち、95年には人数の上で変化の見られた「アジア系」女性の「主人公」は減少傾向にありました。

このような傾向は、アメリカにおける「白人女性」の描写の改善傾向と「少数派女性の描写の減少」といった傾向と類似しています。「公民権運動」後の「女性運動」を経て、メディアはキャンペーン的に運動をとらえることで、「少数派女性」の描写が結果的に圧迫されてしまった、という傾向です。こうした傾向を研究者は、「トークニズム」つまり「役にたたないもの/名目だけの人種差別撤回」として、批判しています。

この議論を参考に、日本の「内なる国際化」に続く社会変動について考えてみると、「世界的に広がるグローバリゼーションの波」という現象が思い浮かびます。

構造改革と自由化という波を受けて、「産業や金融のグローバリゼーション」が大きく進展も見られました。実際、2000年のテレビ広告では、金融の広告が増加しています。また、どの時期でも非常に多い自動車の広告ですが、多くの日本企業が90年代後半にはグローバル化の波を受けています。2000年のテレビ広告ではIT産業の広告が、これまでにはなかったジャンルのものとして登場していて、広告そのものにも変化が見られています。

2000年に「白人系」登場人物が中心に戻った理由は、こうした点にありそうです。
つまり、メディアが「内なる国際化」「グローバリゼーション」という変化を、キャンペーン的にとらえていたのではないか、ということです。

グローリゼーションには「多様な民族や人種」といった「人の動き」に関わる「世界化」の意味があります。一方、「経済先進国の論理で動く覇権的な世界化」という意味もあり、こちらのほうは多くの国で問題視されている意味合いです。

2000年のテレビ広告の登場人物は、どうも後者の意味合いのグローリゼーションを、投影しているようです。

 5-4.  3期間の分析のまとめをしたいと思います。

「人の国際化」を背景としてか、「エスニシティ」の多様化はやや見られましたが、これまでに国内で現実の社会変動を担ったアクターが登場していたとはいいがたいものでした。
テレビ広告の華やかな世界に写し出されたのは、3Kなどの労働に従事し陰で日本経済を支えた人物よりも、むしろ「目につきやすい」「華やかな都市のアジアの女性たち」なのかもしれません。

テレビ広告に「ビタミン飲料を飲んで疲れを癒す日本のサラリーマン」はたくさん出て来ます。一方、同じく経済現象を担っている「在日外国人」たちのこの不思議なほどの「目につかなさ」は、もはや「メディア・イメージの空洞化現象」と言ってよいでしょう。

定着したイメージといえば、調査からも明らかになったように、各調査項目でしだいにバイアスが強まってくるといったことぐらいです。これが「ニューカマー外国人」の定着にともなうものだとすれば、メディア・イメージの現実乖離であると言えるでしょう。

90年代で特徴的にみられたのは、「日本経済の停滞」でした。
在日外国人が経済を底支えするというような見方もやや停滞し、高い失業率のなかで外国人の就労は否定的な見方さえされるようになります。
不法滞在やグローバル化した犯罪などに焦点が当てられたり、外国人研修生問題から「労働力の使い捨て」批判が噴出したり。石原都知事の三国人発言などは、象徴的なものといえます。
こうしたなかで、外国人イメージの多様化は、出ては消えを繰り返しています。

アメリカにおいても、公民権運動のさなかでは、「センシティブ」なテーマとなりうる「黒人表現」が一時期、減少したという結果が見られています。
「国際化」と「不況」が同時に起こるなかで、「外国人」イメージは「センシティブ」なテーマなのでしょうか?

6.  まとめ

テレビ広告の「外国人」イメージは、実は日本の広告産業のつくり出したものです。他者表象のなかに、自身の価値観が投影されています。
テレビ広告は、宣伝という個別の目的を持ったメッセージであり、製品やサービスが説明されるわけです。しかし、非常に短い時間のなかで一つの筋をもつテレビ広告は、巧みに操作された象徴を通じてイメージを提示し、私たちが気付かないような、あるいは、受け流してしまうようなやり方で、現在風の象徴解釈を放送しているわけです。
テレビ広告での人間像は、象徴操作を通じた、特殊な表現の形態ではありますが、人間像の持ち合わせる違いを、製品やサービスに投影して定義することになるテレビ広告からは、価値観の現在形の一つの姿を見ることができます。

こう考えると、「外国人」イメージの多様性のなさは、「日本人自身の多様性」に疑問を投げかけます。
1990年代の「国際化」とは、「日本人自身の多様性」がまずは必要かもしれません。


以上で発表を終わります。



 
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