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テレビ広告のなかの「外国人」登場人物像とその変化
Changes in the Image of "Foreign" Characters in Television Advertising
日吉昭彦(成城大学大学院)
年報社会学論集 (関東社会学会) 第14号 2001年6月 p89-p101
英文要旨
This study explores portrayals of "Foreign" characters in television advertising. Content analysis conducted in 1990 by FCT (Forum for Citizens' Television), combined with original data from 1995 and 2000, is used to compare the representation of "race", "sex", "age" and "role". The results reveal an increase in the number of "white" characters, the presence of gender-bias and a trend to younger characters. This study indicates that while there has been some change in the period of investigation but the variety and reality of "foreign" characters is not visible and social change in Japanese society in the 1990s is not reflected in television advertising.
1. はじめに
本稿は、テレビ広告のなかでどのように「外国人(1)」登場人物が描かれているのか、数量化による内容分析調査を通じて表現の傾向を把握し、過去の調査研究と比較検討することにより表現の変化を明らかにするものである。
FCT(市民のテレビの会)は1990年の夏のテレビ広告を詳細に分析し、登場人物の分析からテレビ広告にある「欧米白人社会だけに顔を向けた国際感覚」[FCT 1991:58]の存在を指摘している。そしてテレビ広告などにあるメディア・イメージの持つ、現実認識への補強機能について言及し、「世界の国々、そこで生きる多様な民族、文化を現実としてみつめることが困難となり、その結果偏見と差別が助長」[FCT 1991:59]されることに「人権」の思想の観点から批判を行っている。
日本在住外国人の増加傾向など1990年代に入ってから顕著に進展する「人の国際化」にともない、国内で求められている多文化の共生と相互理解という文脈でもFCTの指摘をとらえ直し、比較検討を視野にいれて調査を継続する必要があろう。
テレビ広告のイメージに着目し、その受容について、在日外国人と日本人学生を対象にグループ・インタビューを行った(2)。在日外国人グループはメディア・イメージを単純に適用されることが日常生活上のコミュニケーション・ギャップとなり、同出身国の人々がメディアにめったに登場しない、などと答えている。一方、日本人学生グループは、メディア・イメージを事実と認識することはないが、あえてテレビ広告のイメージを批判することもないという結果であった。この結果は一例に過ぎないが、テレビ広告にはメディア・ステレオタイピングの存在や役割モデルの欠如が見られ、それが異文化コミュニケーションにおけるコンフリクトにつながっていることを示している。テレビ広告の効果の範囲は明らかではないが、異なる文化とコミュニケーションする機会が増す社会において、日常的にマス・メディアで提示される限定的なイメージが、先行経験として果たす役割は大きいと考えられる。現実と乖離するメディア・イメージは、しばしばコンフリクトの出発点となる。こうした観点からテレビ広告を分析対象とする一定の意義はあろう。
「黒人」をはじめ「人種的少数派」のステレオタイピカルな表現に着目した内容分析研究は、1960年代からアメリカで盛んに行われており、表現の現状や改善傾向を明らかにした上で、その背景にあった公民権運動という社会運動の成果をメディア表現という場で問い直した。公民権運動という現実の運動が、メディア・イメージの世界に現実性をもって反映してきたかどうか、数十年をかけて継続的に調査が行われている[日吉 1999:30]。これらの調査研究の集成による社会学的成果の一つは、メディアに社会的現実が反映される度合いの分析という観点から、メディア・イメージの分析が社会分析へと応用された点であろう。人の国際化が進展する日本においても、メディアの人間表現を通時的に検証する意義はあろう。テレビ広告の「外国人」登場人物像の表現の変化の分析は、現在進行中の国際化という日本の社会変動をメディア表現の観点から問い直すからである。
筆者は1995年の夏にFCTの調査を参考に、同時期同時間帯のサンプルについて、共通の調査項目を設けて、テレビ広告の内容分析を行い[日吉 1996 :未刊行]、2000年の夏にも同様の調査を行った。1990年、1995年、2000年の3時点でデータを比較して報告する。
2. 調査の方法について
本調査でサンプルとなるものは、2000年7月1日(土曜)から7月7日(金曜)の19時から21時までの期間に放映されたテレビ広告で、在京の民間放送キー局(日本テレビ/TBSテレビ/フジテレビ/テレビ朝日/テレビ東京)計5局の放送内容をビデオ収録した。
サンプルからテレビ広告のみを分類し、放送日/放送局/広告サービスの内容/「外国人」登場人物の有無/単独で登場する登場人物の性別などをコーディング表に記録した。
次に「外国人」登場人物が見られるテレビ広告だけを抜粋し、これらを別途分析した。数量化のために、登場したすべての登場人物に対して、与えられた役割としての「人種」/「性別」/「年令」/「役割」をコーディング表に記録した。
本稿の目的である時系列での比較をふまえて、同様のサンプルと方法で調査を行っている1990年のFCTの調査[FCT 1991:3-26]と、1995年の筆者の調査[日吉 1996:未刊行]と、項目間で共通の内訳を用いるように調査の設計を進めた(3)。分類上の基準についても、比較検討を視野にいれ、筆者が1995年の調査報告で述べた[日吉 1996:183-185]基準を用いた(4)。各項目の内訳と基準については結果報告や数表、註を参照していただきたい。
比較対象となる上記の調査同様に、テレビ広告が複数回放映された場合は重複して記録し、登場人物が別の時間の同じテレビ広告に複数回登場した場合も記録に加えている。
なお、内容分析調査の信頼性を示すための複数のコーダーによるコーディング作業は、サンプルをランダム・サンプリングし、これらの対象のみについて限定的に行っている。これは分析にかかる膨大な時間上の都合によるものである。筆者が全ての分析を単独で行った後、調査項目別に3名のコーダーを設けて信頼性の確認を行った(5)。筆者が調査内容と分類基準についてガイダンスを行った上で、実際のコーディング作業に入る前にサンプルと別のテレビ広告素材を用いてトレーニングを行ってから、分析作業を行った。
まず、「外国人」登場人物の有無の項目について、各放送日から一つのチャンネルをランダムに選択し、連続した30本のテレビ広告群を7つ抽出した。サンプルごとに開始時間を15分ずつずらしてある。後に触れるが、「外国人」登場人物の有無と放送日には関連は見られていないので、チャンネルだけをランダムに抽出した。こうして210本(全テレビ広告の8.15%)のテレビ広告について「外国人」登場人物の有無を調査したところ、6つのテレビ広告(サンプルの2.86%)でコーディングの違いが見られた。
次に「外国人」登場人物の登場するテレビ広告のみを対象に、全登場人物の「人種」/「性別」/「年令」/「役割」について分析を行った。登場人物のコーディング作業の信頼性確認が目的のため、放送日とチャンネルの組み合わせ35からランダム・サンプリングでサンプルを抽出した後、「外国人」登場人物のあるテレビ広告のみを放送順に分析した。そして、分析する登場人物数が一定以上になるまで分析作業を続けた。この作業を行ったコーダーは2名である。第一のコーダーは、41本(全「外国人」登場テレビ広告の7.50%)のテレビ広告を対象に、135人(全「外国人」登場人物の5.46%)の登場人物の分析を行った。1本あたりの登場人物の平均は3.29人で、この分析で追加された登場人物は19人、また分析から除外されたものは3人であった。筆者のコーディングと違いが見られたものを項目ごとに割合で示すと、「人種(5.93%)」「性別(2.22%)」「年令(16.30%)」「役割(5.19%)」となった。第二のコーダーは、26本のテレビ広告を対象に155人の登場人物の分析を行った。1本あたりの登場人物の平均は5.96人と、第一コーダーと比べて個々のテレビ広告の登場人物数が多い。この分析で追加された登場人物は8人、また分析から除外されたものは17人であった。筆者のコーディングと違いが見られたものを項目ごとに割合で示すと、「人種(6.45%)」「性別(5.16%)」「年令(16.13%)」「役割(23.23%)」となった。
この複数コーダーによる信頼性の調査から以下のことが確認できる。外見やコンテクストからの判断基準が中心となる「年令」や「役割」の項目ではコーダー間の差が大きくなる。特に「年令」の項目は両者ともに16%代で差が見られ、「10代か、20代か」などと迷うことが多かった。また、一つのテレビ広告に多くの登場人物が登場する場合には「役割」の項目でコーダー間の差が大きくなる傾向がある。「登場人物としては知覚できない」として分析から除外される登場人物も多くなった。
複数のコーダーの一部のコーディング作業の結果から、データそのものを修正することはせず、信頼性や追加調査などで誤差が生まれる可能性の範囲を示すものとして、これらのデータを記しておく。
以上の作業終了後に統計的処理を行った結果は次のとおりである(6)。
3. 「外国人」登場人物のみられるテレビ広告について
サンプルとした放送時間は5局合計で70時間である。そのうちテレビ広告は、1990年の調査では12.30時間(1990年全体の17.64%)、1995年の調査では13.10時間(1995年全体の18.72%)、2000年の調査では12.50時間(2000年全体の17.86%)放映された。全テレビ広告を本数で示すと、1990年で2219本、1995年で2590本、2000年で2578本となっている(7)。テレビ広告の全体量は1995年が若干多い。これらを「サービス内容」で分類すると、表1のような結果となり(8)、サービス内容の内訳には若干の変化がみられる。
テレビ広告のうち「外国人」登場人物を含むものを本数で示すと、1990年では416本(1990年全体の18.75%)、1995年では378本(1995年全体の14.59%)、2000年では547本(2000年全体の21.22%)となっている。表1にはこれらをサービス内容で分類した結果も示してある。
1995年と2000年の「サービス内容」の内訳と「外国人」登場人物の有無は、両年ともに1%水準で有意な関連が見られた(1995年: χ2=222.49, df=23, P=0.00<0.01、2000年:χ2=251.03, df=24, P=0.00<0.01)。そこで、表1にはさらに年度の違いと、各「サービス内容」項目ごとにみた「外国人」登場人物の有無についてクロス集計し関連をみた結果を示してある。ここから、1995年から2000年にかけて「外国人」の登場という点で変化が見られたテレビ広告は、「流通/小売」「家庭・家庭内レジャー」「化粧品」「自動車関連」「ファッション」「精密・事務・文具」「出版・CD・メディア」「教育/学習」「金融/保険」の各サービス内容で、全ての項目で「外国人」登場人物のあるテレビ広告本数が増加している。必ずしも1995年から2000年にかけてテレビ広告本数が増加しているわけではなく、「家庭・家庭内レジャー」や「自動車関連」「ファッション」などでは本数の減少傾向が見られるが、「外国人」登場人物を含むものは増加している。
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表2は放映日ごとと放送局ごとのテレビ広告本数を分類した結果であり、3時点の内訳には変化が見られている。年度を独立変数に、放映日と放送局ごとのテレビ広告本数を従属変数にして、分散分析を行った結果、放映日(F=14.10, P=0.00<0.01)、放送局(F=15.45, P=0.00<0.01)となり、各調査時点でのテレビ広告本数には放映日・放送局に違いがある。一方、1995年と2000年の調査で、「外国人」登場人物の有無と、放映日時、放映チャンネルをクロス集計して関連を見ると、放映日時では両年ともに有意な関連が見られず、放映チャンネルに2000年で5%水準で有意な関連が見られた(9)。ここから「平日/週末」といった日常生活上の時間区分は分析上で用いず、ゴールデンタイムの放送としてまとめて集計する。またサンプルの変動もさほど「外国人」登場人物の登場には関わりがなく、比較検討に耐えうるデータといえよう。
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これまでのテレビの「外国」要素に関する諸研究[萩原 1994:25、小坂井 1996]でも「外国人」登場人物を含むテレビ広告の割合が示されているが、どの報告も約15%から20%となっており、2000年の本調査は最も多い傾向が見られている(10)。
以上、テレビ広告を単位として分析した結果を示してきた。次にテレビ広告に登場する登場人物を単位とした分析結果を示してみたい。
4. 「外国人」登場人物像の推移
(1) テレビ広告にみる根強い欧米指向の姿勢
2000年の調査で分析対象となった「外国人」登場人物の見られるテレビ広告に、登場していた登場人物の全人数は2471人である。これらの登場人物を「人種」の項目ごとに分類すると、「白人系」登場人物が1395人(登場人物全体の56.45%)が最も多く、「日本人」登場人物が495人(登場人物全体の20.03%)、「アジア系」登場人物が204人(登場人物全体の8.26%)などとなっている。ここから「日本人」登場人物を除き、1990年/1995年の調査と比較したものが表3に整理されている。また、2000年度の調査結果を比較値として、年度ごとの「人種」項目ごとの割合について母比率の検定を行った結果も示してある。
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ここから、以下のことが統計的に理解できる。全体的にみて調査時点ごとの変化はあるが、「白人系」登場人物が非常に多くの割合を占めている。「黒人系」登場人物は1995年に減少しており、2000年にかけては変化がみられていない。「アジア系」登場人物は1990年と比べるとやや増加傾向にあるが、1995年に見られた大きな増加傾向はなくなり、減少に転じている。「その他」の登場人物も「アジア系」登場人物同様に1995年には増加傾向が見られたが、1990年の調査結果と類似した傾向に戻っている。
これまでの日本のテレビの「外国」要素に関する研究なども参照すると、調査方法やサンプルは異なっているが、1986年の調査では「白人系(88.9%)/黒人(5.9%)/その他(5.1%)」[小坂井 1996]、1994年の調査[萩原 1994: 29]では「白人(78.0%)/黄色人種(9.3%)/黒人(3.2%)」などと示されており、「白人優位の傾向がはっきりと示されている」とされてきた。一方、筆者は1995年7月の週末の放送を対象とした調査で「白人系(57.8%)、アジア系(24.9%)、黒人系(9.0%)、その他(5.8%)」となった結果を示し[日吉 1997: 186]、「アジア系」登場人物の増加など、日本のテレビ広告の欧米偏重傾向に変化があったことを指摘した。しかし、本調査の結果をふまえると、テレビ広告の姿勢は再び根強い欧米指向に戻っているようである。
(2) 「外国人」登場人物にみられるジェンダー・バイアス
テレビのなかの性役割表現と「人種」表現の関係について、内容分析調査を通じて明らかにしてきた研究は、1960年代から1970年代にかけてアメリカで数多く行われている。テレビの登場人物が「男性」に偏っていることは、ジェンダー論の観点から明らかにされ、社会運動と呼応する形で行われた内容分析研究は、メディア表現の変化と改善に一定の貢献をしたと言える。セガーらの一連の研究[Seggar 1977, Seggar et al 1981]は、メディアの「人種」表現と「性役割」表現の両者を扱い、「黒人」や「女性」表現の改善や増加傾向を明らかにした。一方、「女性」表現の改善は主に「白人・女性」に限られ、その陰で「黒人・女性」表現されづらくなったという。公民権運動、そして女性運動と続く社会運動を、キャンペインとして扱うメディアの姿勢のなかで、「黒人・女性」という「ダブル・マイノリティ」が生まれたと指摘している。
ところで、石川は広告に反映された戦後日本のセクシュアリティを四つの時期に分類し、1985年以降を「抑圧された男たちと元気印の女たちの時期」として、広告表現のなかの「元気さ」の変化について、ウーマンリブ運動などを踏まえて考察している[石川 2000: P234]。本稿では「女性」像の変化を実証的なデータとともに示すことはできないが、2000年の調査項目から一つのデータを示しておく。調査の主旨からテレビ広告の全登場人物の分析は行っていないが、「外国人」登場人物の見られないものについてもいくつかのコーディング・カテゴリーを設けてある。このなかで「登場人物が単独で登場した場合の性別」を分類している。2578本のテレビ広告のうち、「男性が一人だけ」登場するものは257本(全テレビ広告の9.97%)で、「女性が一人だけ」登場するものは456本(全テレビ広告の17.69%)と、明らかに「女性」が単独で登場するテレビ広告は多いことが分かる。限定的なデータではあるが、少なくとも現在の日本のテレビ広告の登場人物が「男性」に偏っているわけではなさそうである。
そこで「外国人」登場人物に着目して、ジェンダー・バイアスを分析するため「性別」項目ごとの分類結果を示すと表4のようになっている(11)。クロス集計表を作成しカイ二乗検定を行った結果、1995年と2000年の調査時点では「人種」項目と「性別」項目の関連が見られている。
いずれも調査時点でも「白人系」登場人物は「男性」の人数で「女性」を上回っているが、主な傾向に変化が見られたのは「黒人系」登場人物と「アジア系」登場人物である。「黒人系」登場人物は1995年から全体の人数が減少しているが、その時期から「男性」の人数が「女性」を上回るようになった。一方、「アジア系」登場人物は全体の人数が増加しはじめた1995年からは「女性」の人数が「男性」を上回っている。そして、全体の人数でやや減少傾向が見られた2000年も、同様の傾向が見られている。
これらの結果から明らかになったように、登場人物の男女の人数の違いの観点からは、「外国人」登場人物のジェンダー・バイアスは、近年になってむしろ強まっているといえる。セガーの指摘同様に、「白人系」登場人物の性別表現の平等の実現のなかで、テレビ広告のなかの「少数派」である「黒人系/アジア系」はバイアスを強めており、「アジア系男性/黒人系女性」などの登場人物が少ないことが分かる。
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(3) 年令表現にみる多様性の欠如
次に「年令」の項目について集計する結果を示す(12)が、既に記したようにコーダー間の信頼性の度合いは80%台と他の項目と比べて低くなっていることから、概略を示す程度にしておきたい。これまでテレビのなかの「年令」表現についての内容分析調査は、附随的なものであるか、あるいは特定の世代の表現に限定して持たれた関心からのものであり、「年令」差の比較検討に主眼が置かれているわけでない。しかし、メディアの人間像を内容分析する際にしばしば用いられている項目である。その理由は次のように言える。メディアのリアリティというテーマは、内容分析調査において一貫して忘れられることなく持たれているものである。内容分析研究はメディアによって「構成されたリアリティ」を扱い、「構成されたマイノリティ」としての登場人物像を、内容分析調査の結果と人口統計などと比較することによってそのリアリティを検討している。「年令」表現は、メディアの中の人間像に多様な現実が反映されているかどうかを計る一つの指標なのである。
これまで「外国人」登場人物は「若年」層に偏る傾向があり、その傾向は「女性」において顕著[萩原 1994:30]であると指摘され、本調査においてもその傾向に変化はみられなかった。表5が示すように「若者」の割合は一貫して高い。また、いずれの調査時点でも「性別」と「年令」には統計的な関連が確認されている。
一方、表5で示したように、3時点で比較すると「外国人」登場人物全体で「年令」構成の内訳に統計的な変化が確認できる。「子供」の登場人物は一貫して減少しているが、調査対象となった時間帯をふまえれば不自然なこととは言えず、むしろ「若年」層に偏る傾向は強まりつつあるなかでも、「年令」層に幅が出てきたと見ることができる。しかし、1995年と2000年の調査で「人種」と「年令」の関連を見ると、両者ともに統計的な関連が見られ、「年令」層に幅があるのは「白人系」登場人物に限られていることが分かる。
「人種」項目の内訳の変化をふまえると、欧米偏重傾向が再び見られる中でもある程度は安定したと考えられた「アジア系」登場人物が、2000年の調査ではより「若年」化傾向を強めている。このことは、「白人系」登場人物への偏重傾向が「年令」表現の多様性のあり方に結びついていると考えてよいであろう。「年令」項目の分析を通して、登場人物の欧米偏重傾向は、表現の多様性という面で批判の目をむける意義がある。
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(4) 「役割」表現とトークニズム
レモン[Lemon 1977]は「役割」表現と「人種/性別」間関係の表現に焦点を当て内容分析調査を行っている。1975年の犯罪ドラマとコメディーを対象にした調査では、「人種/性別/役割の重要度」の異なる二人の登場人物の相互作用を、「支配ム服従関係」の項目によって分類している。その結果、「役割」の重要度は、「性別」や「人種」よりも、「支配ム服従関係」と関連が強い要因であることが明らかになった。登場人物がより重要な地位や職業のコンテクストで描かれることが、「支配ム服従関係」の固定化をなくし、登場人物の関係の良好な変化につながるということである。
テレビ広告は短いコンテクストのなかで関係の詳細が明らかにされないことが多く、レモンの調査のように「関係」を数量化することは難しいが、時系列で登場人物の役割の重要度の比較を行い、基礎資料として提示したい。
1990年の調査では「主人公/準主人公」の2類型、1995年と2000年の調査では「脇役」が加えられ3類型になっている(13)。表6が示すように、2000年の調査では「準主人公」と「脇役」が増加していることから、2000年の登場人物の増加傾向には、背景的に登場する人物が増加している要因があると考えられる。データでは示しえないが、例えば「国際会議」の場面や「外国の都市」などがテレビ広告の素材に扱われた場合、一度に多くの人物が登場し、こうした傾向が強まる。こうしたテレビ広告は「国際的」な雰囲気をイメージとして提示するのであろうし、「広告サービス」の内容の変化と関わりがあろう。
いずれの調査時点も「人種」と「役割」の項目には統計的に関連が見られている。1990年で「アジア系」登場人物は、合計人数が少ないながら、他の登場人物と比較して「主人公」で登場する割合が高い(95人中40人、42.11%)が、合計人数が増加した1995年と2000年の両年では「主人公」としての登場が減少している(95年:190人中30人で15.79%、2000年:193人中28人で14.51%)。「黒人系」登場人物は1990年では少なかった「主人公」としての登場が、1995年と2000年で連続して多くなっており、登場する人数は少ないが、個々のテレビ広告の中では明確な役割を担っていると考えられる。「その他」の登場人物も2000年に極端に減少しているが、20人中8人が「主人公」であり、「黒人系」登場人物と似た傾向にある。
調査年度と「人種」の項目ごとに「性別」と「役割」をクロス集計を行いカイ二乗検定した結果も表6に整理されている。1990年には「白人」登場人物でのみ5%水準で有意な関連が見られ、「男性」は「主人公」として、「女性」は「準主人公」として登場することがやや多い傾向が見られた。しかし、1995年から2000年にかけて「性別」と「役割」の関連は全体的に強まっている。「白人系/黒人系」の「女性」は、「準主人公」よりも「主人公」として登場する機会が増えているようである。一方、「アジア系」登場人物は、1995年には「性別」と「役割」の関連は見られなかったが、2000年には「男性」が「主人公」として登場することが多くなっている。
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いずれにせよ、テレビ広告で、目にすることができ、意味のある役割を担うという点では、表6の「主人公」の項目の変化が最も重要な推移であろう。「アジア系女性の主人公」は一貫して減少し、その姿は補助的な役割を担っている。
セガーら[Hinton et al 1974]は、公民権運動を背景に変化した「黒人」表現について、運動を背景とした一時的な増加傾向や、役割の重要でない人物の多くの登場傾向や、こうしたなかで生まれる「ダブル・マイノリティ」の存在などをふまえて、メディアのキャンペイン的な「黒人」表現の姿勢をトークニズムとして批判している。トークニズムは名目だけの人種差別撤廃という意味である。日本の「アジア系」登場人物の役割表現の変化からは、テレビ広告のイメージに生まれた「国際化」という雰囲気の一端を担う、キャンペイン的な表現姿勢が明らかになると思われる。
5. まとめ
以上、5年間ごとに行われた調査の比較を概観してきたが、その結果には一貫した変化が見られるのではなく、むしろ微増微減のなかに変化しないものが見えてくるようである。それは、人物の偏向であり、性役割表現におけるジェンダー・バイアスの存在であり、人物の若年傾向であり、つまり広告表現における登場人物の役割の多様性のなさである。
1970年からしばしばアメリカで行われている「人種」表現の内容分析調査は、メディア表現の現実性と多様性を国内の現実の人口統計との比較から検討している場合がある。テレビ広告表現でもこうした研究を数多く行っているグリーンバーグらは、1990年代までの調査研究を概観して「人口比に対応するということは、公平、正確、かつ多様な対応を保証するものではない」と述べている[Greenberg, Levy 1997:訳311]。登場人物の人数における変化は、必ずしも人物描写の表現の変化には結びつかない場合がある。逆に言えば人数が少なくとも多様性を表現することはできるはずであろう。しかし、調査項目ごとに検討した結果、人数の違いをふまえても、バランスが取れた表現がなされているとは言えなかった。視聴主体である日本で生活する多様な民族集団の多様な成員を考えたとき、その役割モデルの欠如は明白である。問題意識であったメディア・ステレオタイピングの存在は表現の偏りという点から明らかに認められ、その変化があったとはいいがたい。
日本の場合、テレビ広告に民族や出身の違いがテクストとして明示されることは、一部の国際電話会社などのテレビ広告を除いては、ほとんど見当たらない。メディア表現と比較できる現実は、人間そのものにあるのではなく、広告主のみる内外の市場にすぎないのであろう。テレビ広告は市場の表象化の過程で、時には利用者として、時には消費者や開発者として、つまり市場の参加者として広告に登場する人物を用いる。「外国人」登場人物もこうした参加者として、日本のテレビ広告で一定の役割を担い続けている。ならば「外国人」登場人物の多様性のなさは、市場の参加者の多様性のなさを表しているのであろうか。むしろ、1990年代にみられた企業のボーダレス化など、外に向けた国際化という現象や、顕著に見られた人の国際化など国内の社会変動をふまえるなら、この変化なき「外国人」登場人物の多様性のなさは、現実とメディア表現の乖離の進行に見える。
本稿では、個々のテレビ広告のメッセージや作品性、質の問題などには言及せず、集合的に広告メッセージが提示するイメージを対象とした。なぜなら、テレビ広告は製品やサービスを告知し宣伝するものであるが、同時に広告製作者たちによって選択的に用いられた現実の人やモノ、場面を通じて、生活スタイルや憧れなど価値観に関わるメッセージを提示しているとも考えられるからである。こうして提示されるイメージは、広告コミュニケーションにおける「送り手」と「受け手」の営為の反映であり、メディアの補強機能を通じて現実化していく価値観の一つである。ここから「外国人」登場人物の分析は一つの人間観の分析であるともいえよう。この人間観は「送り手」である個々の広告主や広告制作者のものだけでも、「受け手」であるそれを見た視聴者のものだけでもない。広告コミュニケーション過程を通じて作り出される空間における人間観、つまり現代日本の人間観であろう。人の国際化など日本国内の社会の変化はあっても、調査結果をみると、「外国人」観といった人間観はその社会変化に追従しているとはまだまだ言えないようである。その変化なき人間観は、多様な出身や文化的背景を持つ人々を「外国人」として集団的にとらえる人間観にあるのかもしれない。
註
(1) 本稿で「」付けで用いられる「外国人」「人種」「役割」「白人系」などの言葉は登場人物の分類の項目を表し、調査上の操作的な使用の範囲を越えない。
(2) 山中正剛、Davidson, Susan J.、日吉昭彦「日本のメディアの国際化に関する印象比較」 1993 日本比較生活文化学会研究発表
(3) FCTの調査は1990年6月11日(月)から6月17日(日)までの19時から21時に放映されたテレビ広告が対象。筆者の調査は1995年7月1日(土)から7月7日(金)までの19時から21時のテレビ広告を対象として、コーダーは一人で行った調査で、修士論文[日吉 1996]で資料として添付したものであり、未発表のデータである。本稿で「1990年の調査」という場合はFCTの調査、「1995年の調査」は筆者の調査を指す。
(4) テレビ広告は特定時間内において一つのサービス内容を扱った「商業広告、番組宣伝、公的サービスの告知」とし、「サービス内容」の内訳は業種ではなく広告されている製品・サービスを中心に分類した。登場人物の分類のための情報はテレビ広告そのものに含まれる視聴覚情報に限定している。テレビ広告では、出身地や国籍、民族集団への所属の表明、明確な性別や年令などのアナウンスはほとんど見当たらず、コーダーが判断できる身体的外見の特徴および音声、衣装などからのみ「人種/性別/年令/役割」の項目を分類した。
(5) 成城大学大学院でエスノメソドロジーの社会学を専攻する大竹氏、セクシュアリティの社会心理学を専攻する荻野氏、メディア・リテラシー論を専攻する白石氏の協力で複数コーダーによる信頼性の確認を行った。協力下さった各氏に心より感謝申しあげたい。
(6) 統計処理はSPSSを用いてすべてコンピュータによって行った。コーディングについても同様で、コンピュータによってデータベース化したコーディング表を用いている。
(7) 各テレビ広告は15秒枠や30秒枠の他に10秒枠や20秒枠、60秒枠などがあり、本数の差は放映時間数とは対応していないが、1995年のテレビ広告はやや全体量が多いことが分かる。
(8) 表1では1995年と2000年のみを示してあるが、これは1990年の調査は広告業種による分類がなされており、分類基準が異なることから比較検討できなかったためである。1995年と2000年では、ほぼ相同のサービス内容分類を行ったが、2000年では急激に増えたと思われる「パソコン/通信機器/ネットサービス」の項目は新たに作成した。なお、本稿で登場人物を単位とする分析で「番組案内」と「洋画予告」は除外してある。
(9) カイ二乗値と有意差は、1995年の放映日時(χ2=7.21, df=7, P=0.41>0.05)、放映チャンネル(χ2=6.93, df=4, P=0.13>0.05)と、2000年の放映日時(χ2=10.44, df=6, P=0.11>0.05)、放映チャンネル(χ2=10.33, df=4, P=0.04<0.05)である。
(10) 1995年と1990年の違いとして、テレビ広告本数を増やしている「フジテレビ」がある。参考までに2000年の調査時点で放映された「フジテレビ」の番組は2時間連続の「野球中継」が3回あり、「自動車/飲料/パソコン」などのテレビ広告が多いのが特徴であった。
(11) 人数の分析単位として「集団表現」がある。「特定の個人ではなく集団に焦点をあわせた描写がなされる」[萩原ら 1987: 71]場合である。本稿は「人種」項目の分類である表3には「集団」を含めたが、以下の表4から表6では、「人種/性別/年令」が不明であった場合の登場人物は表から除外してある。よって、必ずしも表4から表6の合計値が表3と合致しない。
(12) 「年令」の項目は、1990年のFCTの調査で「乳幼児/小学生/10代/20代/30代/40・50代/60代以上」、1995年と2000年の調査は「子供/若者/青年/中年/初老/老人」と分類が異なっており、また本調査では「若者/青年」の区分などでコーダー間の信頼性が低かったことなどから、FCTの「乳幼児/小学生」分類や、筆者の「若者/青年」などの項目を「10代以下/20-30代/40-50代/60代以上」と便宜的に再分類して整理して示してある。
(13) この項目は登場人物がテレビ広告の表現において主要な要素として描かれているか、あるいはより周縁的な要素として描かれているかを、大きく三分類で数量化するためのものである。具体的な分類基準については[日吉 1997]を参照のこと。
文献
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