一. はじめに
本稿は、1970年代にアメリカで盛んに行われた、メディアの「人種」表現に関する数量化による内容分析研究を主な対象に、研究が行われた背景やその問題意識、および数量的な結果から導き出された知見について分析し、現在の日本で「人種」表現に関する数量化による内容分析研究を行う上での意義と課題を考察するものである。
アメリカで1970年代に行われた「人種」表現に関する内容分析研究は、「黒人系」登場人物や「少数派」登場人物の人数や役割表現の量的な推移に関心を示してきた。こうした研究の興隆には、その背景に公民権運動という社会運動によるメディア内容の変化を見ることができる。
一方、日本において同様の手法で行われてきたメディアの「外国」要素の研究は、しばしば情報の「国際化」や人の「国際化」などによるメディア内容の変化に着目している。その背景で「白人系」登場人物への編重傾向を示し続け、また1990年代中盤では「アジア系」登場人物の増加という変化を明らかにしてきた。
日米の両者の研究には、社会変化のなかのメディア内容の変化の分析という、共通する着眼点がある。1970年代から1980年代を通じてメディアの「人種」表現の新たな傾向についての数多くの研究の蓄積があるアメリカの内容分析研究は、現在、変化の傾向を見せ始めた日本のメディアの「人種」表現の研究に一定の視点を提供するであろう。
本稿では、数量化による内容分析調査の結果ではなく、その背景と知見に着目する。第一に、アメリカにおけるメディアの「少数派」表現の研究が、いかにして生じてきたのか、その問題の背景を考察する。第二に、内容分析調査の結果から得られた知見に着目することで、内容分析研究がマス・コミュニケーション理論に対していかなる一般化を行ってきたかを考察し、今後の研究課題と展望について論じる。
二. メディア産業の構造変化と「人種」ステレオタイプ
コール(Colle. 1968)は、テレビにおける「黒人」表現の型の源流は、映画の表現の型にあったと述べ、その事例を以下の3点にまとめている。
第一の型は、南北戦争を描いた映画に見られるいう。南北戦争を描いた映画の「黒人」登場人物は、「よい/悪い」の二元的な価値観のもとで描かれており、「よい」「黒人」は「扱いやすく/忠実で/ハッピーな」登場人物として描かれ、「悪い」「黒人」は「ごう慢で/復讐心に燃えた/パワーシーカー」として描かれたという。第二の型は、トーキー映画にあり、歌手として登場人物した「黒人」登場人物を「笑って/踊って/おろかな」ものとして描いたものという。第三の型は、日常生活を描いたドラマ映画にあり、「黒人」登場人物は「うそつきで/レイピストで/手作業に専念するおかあちゃん」として描かれたのだという。
映画産業が発展し、内容の形式が多様化するなかで、第一の事例では「心情」について、第二の事例では「行為」について、第三の事例では「役割」についてのステレオタイプ化された表現が生まれてきたことを示している。
テレビにおける「ネイティブ・アメリカン」のステレオタイプ化された表現は、1948年のテレビへの映画配給規制撤廃による、安価なウェスタンの製作に起因していると指摘されている(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)。規制撤廃により、安価で放映できる古いウェスタン映画がテレビで商業的に成功を収めると、ウェスタンの形式はテレビ・ドラマに引き継がれていった。ワーナーやハリウッド等のプロデューサーは、セット/ささえ/服装などの背景を古い映画からの場面を切り貼りして利用し、安価なテレビ・ウェスタンの番組を製作したという。以前の映画を切り張りして安価に製作されたウェスタンは人気を呼び、多数のテレビ版が放映され、テレビでは「酒飲み/臆病で野蛮なアウトロー/馬車を襲う/白人の女の子のとりこ」になる「ネイティブ・アメリカン」のステレオタイプ化された表現が再生産されていった。
このように、古いメディアの形式が、商業主義のもとで新しいメディアに移植されたのである。「伝統主義の亡霊」がメディアの近代化のなかで再び姿を表したのである。
同様にアジア系アメリカ人の表現も、当時から25年以上前の「嫌な感じで表現されるアジアン・アメリカン」や「伝統的に従順で、エキゾティックなアジア人」のイメージが、テレビを通じて再生産された(Berry, Mitchell-Kernan, 1982)。第二次世界大戦の頃の映画がテレビで放映され、「軽蔑的で、不道徳」な日本人の表現が溢れた。「ウェイター/洗濯屋/庭師/空手エキスパート/芸者/ドラゴンレディー」などのテレビにおけるアジアン・アメリカンのステレオタイプ化された表現(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)は、テレビを映画館と同様に映画を売る場としたハリウッド側と、安価に古い映画でスケジュールをうめたテレビ側との合意によって生まれたといえるである。
こうして生まれたステレオタイプ化された表現は、新たに制作される番組内容にもフィードバックするようになる。
一方、テレビでは「黒人系」の歌手やダンサーは「白人」に受け入れられず番組が中止になるなどの事例がしばしば見られた(Colle. 1968)。
また、現実的に描かれた「黒人」「少数派」登場人物像は、社会的経済的問題を引き起こしやすかった。「白人」の気に触る番組、つまり広告の減収につながり番組は、スポンサーに受け入れられななかった(Bush et al, 1977)。コマーシャルにおいても、「黒人」と製品を結び付けることを恐れた広告主は、「黒人」を登場させなかった。1950年代を通じて行われたスポンサーによる番組再編は、スポンサーの番組支配の構造を強めた。より「快適なコンテクストで、商品を売ろうとする広告主」は、「『黒人』消費者は支持せず、『白人』消費者に気を使うのが広告主の心情であった」(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)。1960年代にはネットワーク局が番組編成の主導を握り、番組は分単位で売られる広告媒体となった。ネットワークはスポンサーに替わって、番組内容からスクリプトまでを統制した。セックスと暴力が溢れる「アクション番組」が溢れた。かたやニュースでは、南部での劇的な人種闘争のイメージをネットワークを通じて、視聴者の家庭に運び入れていた(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)。
コール(Cole, 1968)は、「1930年代の後半に、『アモスとアンディー』というラジオ番組での『黒人をけなす』表現の削除を求めたNAACP(National Association of American Colored People)の運動が、かえって『黒人』表現を目につかせなくなるような現象につながった」ことを指摘している。こうした現象は、テレビ映画を通じてステレオタイプ化された表現が見られた「ネィティブ・アメリカン/スパニッシュ/アジア人」などの表現にも行われたが、その結果は同様に、簡単にその場面を取り除くか、放映を「やめる」というだけのアクションがとられただけであった。
こうして、テレビの世界では、「黒人」は「コメディー」で登場するものという、登場する「番組種目」についてのステレオタイプ化された表現が生まれてきた。「少数派」の登場人物は、テレビ番組のなかのゲットーに閉じ込められていくか、インビジブルな存在となるか、二つの道を歩んでいくのである。
以下で本項での結論をあげておく。1970年代に行われたテレビの人種表現に関する内容分析調査の主な問題意識は、「黒人」や「少数派」登場人物は、過少に描かれているか、あるいは、ネガティブなイメージで過剰に偏った描かれ方をなされているのではないか、というものであった。こうした表現の源流はメディア産業の近代化という構造変化のなかに、一つの事例をみることができるのである。
三. メディア表現に関する批評の公民権運動的性格
1960年代初期の、New York State Commission for Human RightsやNAACPの、メディア産業における雇用と、メディア表現における平等や改善を求めた運動は、第一に、公民権運動を背景として、そして第二に、「黒人」市場の多大な消費力を背景に、一定の効果を持ったことが指摘されている。
公民権運動とは、1950-1960年代にアメリカの黒人に平等な権利を獲得するための運動であり、例えば、1948年の「人種隔離撤廃」や、1955年の「バス・ボイコット運動」、1960年の「座り込み運動」、1963年の「ワシントン大行進」などがランドマークとして着目されることがある。メディア産業への「少数派」の参画や、ネガティブ・イメージの「黒人」像で広告のされる商品へのボイコットなどの運動も、一般に言われる公民権運動と類似した方向で行われている。これらの運動は表現に関る公民権運動的性格を持ちあわせているといえよう。
第二項で指摘したように、メディア産業の構造変化は、表現の変化に結びついている。メディア表現に関する批評の公民権運動的性格は、メディア産業における雇用機会均等の実現とともに行われたのであった。
一般に、メディアにおける公民権運動は、1964年に、United Church of Christがジャクソン・ミシシッピにあるWLBT-TVに対して、「黒人」を出演させていないことと、番組が概して彼らに「無礼」であることを背景に、FCCに免許の停止を嘆願したことがあげらることが多い。こうした意義申し立ては、製作者や出演者における「少数派」集団の参画要求とともに行われ、雇用とメディア表現における平等や改善を求めた運動となっていった。こうして「目にみえること」「登場すること」は、メディア表現の批評の重要な着眼点となったのである。
「黒人」を「ばかにする」広告の製品は買わないとするボイコット運動などが起きたが、「黒人」市場の成長は広告主が無視できる範囲を越えていたのである。商業主義的な関心のなかでも、「黒人」表現に開かれた道があったということである。
広告市場だけではない。公民権闘争のなかでは、ニュース時間の枠が拡大され、その報道のために「黒人」レポーターが求められた。さまざまな少数派集団が関る公共的な社会問題を扱うなかで、メディアは白人メインストリームだけを視聴者集団とするこれまでの市場意識の変革を迫られたのである。こうした「少数派」の市場への取込みは「これまで視聴率調査の対象でなかった『白人』以外のものに、広告放送の対象として関心が払われるようになったことである」ともいわれている。スポンサーシップの構造変化、つまり、番組のスポンサー制から時間をシェアするタイプのスポンサー制の変化も、多様な視聴者というターゲットの設定に一定の貢献をしたといわれている。
そのなかでコール(Colle, 1968)は、「黒人」表現は1960年代中旬に、メディアの「自意識のない」、アイデンティファイできない「人種」表現がみられるようになったと述べている。「白人」社会のメディアで、「白人」のための、「白人」による、「黒人」表現であるとして盛んに取り上げられた。メディア産業は「白人」エグゼクティブで占められ、ライターが「白人」だったり、「白人」が黒や黄色の化粧をして登場したり、そして「白人」がそれを見て楽しみ満足し番組のスポンサーの商品を買うように志向したものであり、それ以外のものは、番組に「色」をつける程度のものでしかないのか、という批判である。こうした「黒人」表現が「トーケニズム」として批判されたのだ、とコールは述べる。
1968年にカーナーコミッション(United States National Advisory Commision on Civil Disorder, 1968)は、「『黒人』はスクリーンに登場したとき、『白人』が彼らを見たときのように表現され、彼らが彼ら自身を見たときにようではなかった」と述べている。カーナーコミッションはやはり、「『白人』によって統制されているマスメディアは、結局は『黒人』を含む視聴者とコミュニケートする試みに失敗している」と結論づけている。
メディア表現への批評の公民権運動的性格は、こうして、メディア産業の構造変化の動きのなかからさらに進展して、メディアで「誰が/どのように」表現されているかという探索に見て取れるようになったといえる。「ジョージアの赤土の丘の上で、かっての奴隷の息子たちとかっての奴隷主の息子たちが、兄弟として同じ食卓を囲めるようになるであろうとの夢」と表現して「統合」を語ったように、旧来のメディアの内容を形式を踏襲する場としてのテレビのなかで、あるいは、視聴者のお茶の間のなかで、「食卓を囲む」表現が検証されることになるのだ。
1970年代になって、テレビ番組のジャンルは分化し多様化した。広告媒体としての価値が高まったテレビは、制作費用をかけた連続ドラマなど「現実的」なコメディーやドラマが登場した。さらにこうしたテレビ番組は、コピーにより拡大再生産されることになる。ヒットした作品には、次々とコピーが誕生するという現象である。このようななかで、テレビ番組の「現実性」は重要な批評対象となった。「現実的」なコメディーやドラマでは登場人物のキャラクターは、人種、社会的地位、夫婦間スタイルなどで、広がりと多様さを持つことになるのだが、それが現実の社会を反映しているかどうかは重要な論点になった。
1977年に United States Commision on Civil Rightsは、テレビの急速な普及と、情報源としての信頼性の高さのなか、テレビのエスニシティとジェンダーの表現の多様性の反映と雇用における機会均等を求めた報告書を政府に提出している。ここでは、公民権運動について、「(公民権運動という)ドラマがメディアの注目を引き、『黒人』の人々はより可視的になった。そのことで、それまで法の元で平等を否定されてきた彼らが『平等』を達成することを決心したのだ、というアメリカの公共的な自覚が浸透した」と分析している。このように、メディアの「可視性」が公的関心に寄与する機能をあげながら、「どの程度、どのようなやり方で、テレビは平等/不平等を永続させているのか」という疑問を提示している。
この報告書では、FCCの放送局における免許更新過程、つまり3年に一度は雇用のファイルを提出して、免許の申請には、公の関心を満たしているかどうか点検する例をあげ、表現に関しても、社会の動きのなかで公の関心を満たしているかどうかチェックする必要が有ることを述べている。こうしてメディア表現の研究では、進行中のものに対してその過程を明らかにするという関心から、比較可能な内容分析調査が多数行われるようになる。
以下で本項の結論を述べる。メディア産業をめぐる社会の近代化のなかで、「黒人」はメディアの世界で「目に見えるもの」となった。メディアにおける公民権運動をめぐる事象を通じて、メディアが旧来の人種主義を克服しようとする過程が理解できる。メディアの公民権運動の実現を、表現の観点からチェックしてきた、メディア表現の批評は、公民権運動的性格を持ちあわせているといえるであろう。
コール(Colle, 1968)は、社会変化のなかのマスメディアの「黒人」イメージと、その変化について、以下のように述べている。
現実世界では「黒人」のメインストリームの社会への「統合」がやや遅れながらも進展するなか、テレビというファンタジーな世界では、まるで「黒人」が生まれてきたばかりであるかのように扱っている。
1970年代に多数行われたテレビの内容分析研究の数々は、この遅ればせなメディアでの表現の機会均等のチェック機能を果たしてきた観点から、公民権運動とは時代を経てもその性格を踏襲しているといえる。
四. 内容分析調査研究にみる社会・環境的視点
シグニポリ(Signippolli, 1985)がまとめた、人種関係についての分析を含む内容分析研究や研究発表のビビリオグラフィー年度ごとにまとめたものがある。ここに含まれているものは、一つの論文で数年にわたる分析をしたものもあれば、一つの調査を何度もわけて発表したものもあり、また、分析のサマリーなども含まれていて、内容分析自体の数を表すものではない。明確なサンプルが示されているわけでもないが、調査そのものへの関心の高まりとその移り変わりを示す一つの指標になると思われる。
これによると
第一に70年代に入ってから分析の数が増加している。
第二に80年代初頭で大きく数が増加している。
第三に80年代中旬でその数は減少している。
90年代は含まれていない。
このビビリオグラフィには含まれていないが、人種関係についての分析を含む内容分析研究は90年代に入ってやや増加している傾向がある。
そこでこの背景を図式的に説明してみたい。
60年代の調査が少ないのは、関心が持ち上がっていた時期であることと、この期間の放送内容は分析中であることがあげられるであろう。
70年代初頭の増加は、内容分析研究における「人種」がトピックとして関心が持ち上がってきたことと、これまでの研究成果がジャーナルで取り上げられはじめたことがあげられるであろう。
80年代初頭の急激な増加は、70年代を通じた内容分析研究が10年を経てまとまった知見が報告されていることと、フェミニズムとの融合、より細かいトピックや研究理論に適合する調査が行われ内容分析研究に幅がでてきたことがあげられるであろう。
80年代中盤の落ち込みは、内容分析研究がさまざまな批判を浴び、社会心理学的アプローチがコミュンケーション研究で盛んになったことがあげられるであろう。内容分析によせられた批判には、メディアの皮下注射仮説に研究枠組みを依存しすぎているのではないか、また、ステレオタイプ化と、メディア内容への受け手の接触との関係を明かにしてこなかったのではないか、というものがある。方法としての内容分析調査に標準的な手法の確立がなされているかどうか、という批判も、一般化に際しては重要な指摘となりえる。否定的な部分ばかりを取り上げて、かえって人種差別主義を補強したのではないかという批判もある。
図式的に期間を区切ったが、この期間で方法や対象に違いが見られる。
初期の内容分析研究は、「登場」そのものに関心を持ち、そのなかでの登場人物を「主役」か「補助的」かなどと分類し役割の重要度を探る方法がよく用いられた。対象もステレオタイプ的に「黒人」がよく登場するとされてきたコメディーなどがしばしば分析対象となった。登場そのものに関心を持つので、「現実」を写し出すとされるドラマも、反映を示す題材として分析された。コマーシャルなどもよく対象となった。そして、現実の人口構成と内容分析との比較という手法は初期内容分析研究の特徴である。
一方、中盤80年代では、「受け手」へのマスコミの影響が大きな関心となり、メディアにおける「女性」表現、メディアの暴力表現、子供へのメディアの影響などの文脈で「人種」表現が報告されるとともに、向社会的行動の表現や「人種」間相互作用の分析などより細かい表現への着目と方法論の展開がみられた。
90年代以降の増加は、アメリカの社会学における記述的な方法論への再評価があげられるであろう。多メディア化や新移民の増加などによる70年代の研究の再評価があげられるとも考えられる。
本項から指摘できる点として以下の二点がある。第一に、こうした方法論の変化は、内容分析研究の方法的精密さの探求だけではなく、第三項で述べたように、「目に見える」ことへの関心から、「誰が/どのように」登場しているかへの関心の移り変わりと結びついているとも言えるであろう。第二に、U.S.Commision on Civil Rights(1977)の報告書の冒頭に「雇用の機会と同様に表現においても進展が見られたにも関わらず、『少数派』と『女性』、特に『少数派』の『女性』は、ドラマ番組やニュースにおいて過小な表現となり続けており、また表現はステレオタイプ化したものであった」と記されている。当時のメディア世界の研究は、闘争の時代を経て、目先の対策から、長期的な「環境的」視点の展望を模索する姿勢のもとで行われていたことが理解できる。
五. 内容分析研究の事例
本項では、初期の代表的な人種表現に関する内容分析調査研究であるドミニクとグリーンバーグの研究、およびセガーらの研究について、その問題意識およびそこから導きだされたマス・コミュニケーション論の知見について考察する。第二項から第四項までで論じてきた焦点を、具体的な分析視点から確認することが本項の目的である。
ドミニクとグリーンバーグ(Dominck, Greenberg, 1968)の問題意識は、テレビの「黒人」表現についてテレビ・プロデューサーが行った分析の批判から始まっている。初期の研究は、比較題材がないことからも、こうした製作の現場の言葉がよく取り上げらる。60年代後半の「黒人」の新しいイメージについて、 テレビ・プロデューサーは以下のように述べたとしている。
「テレビでは現実でそうであるより以上に「黒人」が登場しすぎである」
「シーンが現実的であるように、(テレビに)反映する概念的な事実にアプローチし、人工的な状況は避ける」
この二つのプロデューサーの言葉について、ドミニクとグリーンバーグは、「エキゾチックな論理」であると批判している。「白人」メインストリームの世界が「黒人」の世界を外の世界として見る姿勢に「エキゾチック」を見ているのである。
ドミニクとグリーンバーグは「『黒人』は基本的に、『白人』の役割を『白人』の物語のなかで演じている。このようなレディーメードな登場人物が、分りやすいプロットについている」と分析している。そして、「テレビは『黒人』の新しい、オリジナルな物語を発展させることができた」とするテレビ・プロデューサーの言葉に対し、そこに皮肉な独創性と創作性があると見ている。
この論文の問題意識は、テレビの世界がオルタナティブとよび、差異のなさがうまれる場に芽生えた新しい人種主義の台頭を、的確にとらえているといえよう。
調査の結果を概略すると、コマーシャルの分析では、「黒人」の登場する広告は増加し、主役としての登場人物もそれに従って増加していた。公的サービスの告知やプロモーションのなかで多く登場したが、たいていは話さず、ほとんどは「白人」と共に描かれていた。「黒人」は製品を売る際により行動的で、多くは製品を持ちアナウンスをする。単独で登場しない、などがあげられている。また、ドラマの分析では、昼間とプライムタイムでは「黒人」の扱いに違いがみられた。1/4のドラマで「黒人」は登場人物がみられるが、典型的な役割を持ち、医薬や法律の仕事で登場し、めったに命令しない。めったに人種的な言及が行われない、などの点が明らかにされている。
そして、これらのデータから、「黒人」の高い「可視性」は現実よりも「黒人」が多いことの印象を作り出すというプロデューサーの意見を認めながら、広告に登場する人数の増加の割に、「黒人」が登場する広告の割合の増加が少ないことから、これまで登場人物を一人しか使ってこなかったような広告で、多数の「黒人」登場人物を用いていることを指摘している。
1973年にグリーンバーグとマジンゴ(Greenberg, Magingo, 1973)が、同様の手法で同様の調査を行っている。ここでは、「主役が減少し、背景的役割が増加した」こと、「プライムタイムの番組で「白人」と一緒に登場する番組が減少したこと」の二点をあげている。
このように、問題意識とその結果から明らかになった点は、「黒人」表現が、「白人」表現の世界に招き入れられたことであった。つまり、グリーンバーグの一連の研究は、テレビ表現の世界における「人種的統合」にみられるテレビのホスト社会化といったものを明らかにしたといえるであろう。
1973年と74年には、ブッシュら(Bush et al, 1977)が同様の手法でコマーシャルについて、時期と地域を変えて調査を行い、グリーンバーグらの研究と比較を行っている。
ブッシュらは、「人種差別なき広告の広範な流通と長期間にわたる実践こそ、ステレオタイプをなくしてゆくものである」という問題意識にたって調査を行っている。ここには、公民権運動を通じて人種闘争が持った意識であるアメリカン・ドリームへの疑いや、「この制度が続く限り......今日も...明日も....」といった連続するアクションの必要性が投影されている。
この調査の結果は、「黒人」の登場や「黒人」の主役での登場はともに増えているが、多くの登場人物が一度に登場する表現に変化はみられなかったとしている。地域/時間によって「黒人」の登場が異なったが、それは市場の違いであろうと述べている。後に行われたこの調査は、グリーンバーグらの研究と同様の結果が得られている。
ブッシュらは、こうした「変化のなさ」を広告主の「黒人のユニフォーム」という言葉で表現している。「黒人」表現の「安定と制度化」には、一方では希望的に持続への期待があり、他方では次なるステレオタイプへの危惧があるのだ。
こうした時系列的研究では、ノースコットらやセガーらの一連の研究(Northcott et al,1975, Seggar,1977, Seggar,1981)などで、1970年代の「黒人」やその他の「少数派」のテレビドラマとコメディーでの描写を研究したものがある。一連の研究は、1971年-1980年までの10年の「少数派」表現が一覧できるものである。
これらの研究は、
・多様な「少数派」の露出の有無
・登場人物と、現実の国家の人口構成を比較する
・表現におけるエスニシティとジェンダーという二つの変数の関わり
・テレビにおける職業表現
を主眼に行われている。
これらの論文は、コーディング手続きで、ある程度、一定の定義が行われていて、若干のサンプルや手続きの変化を考慮しても比較に耐えうるものである。
彼らが研究の問題意識としてあげるものは、トーケニズムである。トークンとは約にたたない小銭の意味であるが、ここでは現在与えられている別の意義、つまり「名目だけの人種差別廃止」を挙げておくことにする。
「黒人」の「顔」が多く現れるようになっても、役割の質や重要さではあまり変化が見られないというものである。そして、トーケニズムを調査するため、重要な役割を担う「白人」表現との比較を行うと述べている。こうした登場人物内での比較/現実との比較の二点がノースコットらの研究の特徴である。
ここには、マイノリティの立場からのエスニックな意識の台頭、といった社会状況を読み取ることができる。
結果を概略すると、10年の概観(Seggar et ak , 1980)から、
・70年代を通じて、「白人」登場人物は、全体的なコメディードラマやドラマショーにおけるメディアでの支配を高めた。
・「黒人」登場は6-8%の登場を維持し、それは1976年に国家の人口の構成の11.5%、1978年には11.7%の人口を占めた「黒人」にとって、反映の均等さからみて下回っている。
・「その他」の「少数派」に関して、現実に彼らは国家の人口の8-9%にふくまれているにも関わらず、彼らは実際に表現の構成からほとんど除外されている。
などが指摘されている。
さらにジェンダーの観点から、
・1971年で男女比が4:1だったものが1980年で、3:2になった
・「白人」「女性」は増加したが、「黒人」「女性」は増加しなかった
・「黒人」「男性」はやや上昇した
・その結果、「少数派」の男女が登場しなくなった。
役割重要度の観点から、
・「白人」「女性」で主役での増加が最も目についた
・「黒人」は男女ともに、主役から、脇役や背景的役割に変化した
・数が少ないながらも「少数派」は主役での役割を増した
などを報告している。
セガーらは、1971年に、分析の結果の提言として「「IS」と「CAN BE」の両者の表現を行うこと」を求めた(Seggar, Wealer, 1973)。1973年には、「黒人」は「白人」と比較するときには、とても好意的に描かれていて、この傾向は、テレビ産業が「黒人」「少数派」によってもたらされたプレッシャーを感じとっており、よりよい意味での「混乱」の中で少なくとも変化への責任を感じており、それらは黒人表現の変化にあらわれていると述べている。一方、役割重要度のなさから、「黒人」はマージナルな役割を担うとも指摘している。75年には、メディアの経済的恩恵から俳優そのものが増えたことを指摘している(Northcott, 1975)。そして、70年代初期の「黒人」表現の批評運動の落ち着きと、「女性」運動の興隆を通じて、「黒人」と「女性」に焦点があたった表現となり、メジャーなマイノリティーが生まれたことを示唆している。その結果その他の「少数派」は減少したとする。このことをセガーらは、「単に多くの「白人」と多くの「黒人」が、他の色の陰影を消している」と表現している。
こうして、彼らの言う「CAN BE」が「WAS」に戻る傾向が明らかにされたのである。言ってみれば、「ある先行に対する、新しいイメージの生成とその一般化が、再び先行として、次に換気されるであろうイメージに対して制度としてふるまう」ような、文化の古い層の浮かび上がりの現象を見い出したのである。それはまさに公民権運動の歴史を振り返ったうえで考察すると、トーケニズムであったといえよう。
初期の研究を整理するうえで、セガーらは1981年(Segger et al , 1981)に内容分析研究の知見について、マスコミ論に照らした上で3点の論考を提出している。
第一に、社会学者や人類学者が定義するエスニシティーの概念に触れ、メディア表現は「言葉の使用や文法など、そして服装のスタイル」でエスニシティーを表しても、「家族関係の行為や経済、政治、教育、宗教制度」などについては表さない、限定した文化的露出であることを指摘している。
第二に、社会的学習のモデルとしてのテレビを「ポプリ(音楽形式/雑集/香りのつぼ)」と表現し、広範なテレビの視聴者への影響の検証の必要性を説いている。「サラダボール」でもなく「メルティング・ポット」でもなく、「ポプリ」と言った背景には、統合と除外のなかでうまれてきた構造性やレイヤー性を読み解くことができるであろう。こうした歪んだアメリカ社会の表現の国際的影響力についても述べている。
第三に、内容分析結果は、メディアが表現を通じて行う「概念の知的なフレームワーク」の生成を分析できると述べている。さまざまな項目での比率における差異の消滅が、エスニシティの特質や明瞭さの消滅と結びつくとき、テレビは多様な視聴者とのつながりを失ってゆくと示唆している。
つまり、テレビは「Limitation/Exception/Disconnect」の概念から想起される世界/場所であり、そこにおける人種主義をみているわけである。
10年を比較研究した結果の最後の言葉が、「一般的なアメリカ社会の文化は、多くのやり方で、『人種』『民族性』によって境界線を引くことを超越しているが、しかし、アメリカ的『統合』については、(テレビのなかで)見ることができなかった 」というものであることは示唆深い。10年の分析を経て、「黒人」や「少数派」表現の根底にある動きづらい人間観が、公民権運動さえもキャンペーンとしてとらえるテレビによって、かえって浮き彫りにされたのである。
以上、ドミニクとグリーンバーグの研究、およびセガーらの研究の問題意識と知見を概観してきた。これらの研究は、コミュニケーション研究のさまざまな研究知見や内容分析調査の方法の理論の発展の延長線上にあるだけでなく、当時のアメリカ社会の制度やメディア産業の近代化といった社会変動の要因を取り入れつつ行われ、独自な方法論と知見の発展を見せた。これらの研究は、アメリカ社会という事例を越えて、社会変動とメディア表現の構造を分析する視点を提供していると思われる。
六. 多メディア化とグローバル化のなかでの人種表現の研究
1980年代以降の人種表現をめぐるコミュニケーション的な論説について、これまでの議論をおおまかに整理すると以下のようにまとめられると考えられる。
第一に「効果・影響理論」を背景とした、「メディア世界と現実との混在問題」などを取り上げたもので、多くの「テレビにおけるのマスコミの影響力」などの議論の延長線にあるものである。これらの議論は、たいていはメディアを読み解く力が未熟だとされる子供に対する「負の影響」を考慮したものである。
子供の社会化に対するメディアの影響が盛んに論じられ、登場人物の過剰、過少のバランスの関心から、表現のコンテクストそのもののが問われるようになった。たとえば、バーカスは地方局の子供番組や、そこにはさまれた広告など多くの内容分析の報告書を提出している。社会化に関する影響の研究と内容分析のつながりは、「『少数派』の子供達が、本人が知らぬところで見られているのか、その逆に見られていないのか、それはどのような像であるのか」というバーカスの問題意識に見て取ることができる。内容分析調査は、子供にとって人種表現が社会化におよぼす影響を調査する上での基礎資料となっている。
これらの議論は、ステレオタイピカルな人種表現を成長期における子供への害物として捉え、身体的および精神的健康への関わりを軸に、コミュニケーション不全を告発する類のものであった。
第二にメディアに接する側の分析として、「利用の仕方および満足度」などを取り上げたものがある。これらの多くは「現実に代わるテレビ」という「ニューリテラシー」を取り上げたものといえる。テレビを通じた学習を、肯定的にとらえる議論がある。例えば、グリーンバーグ(Greenberg et al. 1982 )は、「黒人とほとんど接触したことのない、郊外の白人の子供が、黒人について知っていることがテレビの表現のそれから来ていた」ことを報告している。
一方、人種表現の研究の場合は、リフ(Riffe et al , 1989)が言うように、「『受け手』の批判的なメディアへの態度のなかでも、『世界はどのようにあるのか』という関心は萎えず、常に補強的である」というように、利用の仕方以前の表現そのものの真偽に関心を置いてきた。
両者ともメディアの「受け手」にとって、メディア・コンテンツは、アイデンティティ形成およびセルフコンセプトの確立に寄与するものである、といった視点が含まれている。これらの研究理論は、多くのマス・コミュニケーションに関する研究を通じ、実証的に明らかにされてきたものである。人種表現の場合も同様に、少数派のヒーロー像の分析や、家族関係、コミュニケーションの相互作用の分析などを通じて、こうした研究理論との結びつきが見られている。また、「Black I Is a New Color of Our New TV」「Black Is Beaty」といった独自のコンセプトで自らを表現する観点が、新しいメディア文化の進展や多メディア化、さらには多メディア化にともなう受け手集団の細分化のなかで重要視される。これまで一種の線引きであった「色」は、映像技術の発展とともに、本来の自己を再発見し、またそれらを通じて新しいコミュニケーションの場としての独自の番組が生まれるという見方が現れてきた。
しかし、テレビが「プラグインドラッグ」として批判を浴びたように、人種表現は犯罪や暴力と容易に結びついた。オリバー(Oliver, 1992)は、暴力と人種と攻撃行動の関係を、刑事ものの現実に即した「ドキュメント」の内容分析から把握している。オリバーの研究は、報道とフィクションの中間に位置する「ドキュメント」を扱ったものであった。メディア内容の対象が「現実」であるか「虚構」であるかに関わらず、その扱い方に問題点が含まれていることを示唆するものである。
ところで、人種表現の研究では、コミュニケーション過程における「送り手」論にあたる、典型的な「制作サイド」に関する議論は主に雇用との観点で行われてきた。「送り手」としての産業構造に着目した場合の現代的課題は、単にメディア産業への少数派の参画=「送り手」という図式だけでなく、輸出産業としてのメディア産業にも着目する必要がある。セガーが論じたように、国際コミュニケーションの観点からすると、テレビ番組は海外に影響力を持つ文化情報であった。セガーは「多くのアメリカのテレビドラマは他の諸国に広く輸出され、これらの情報はしばしばアメリカの生活や文化、価値についての主要な情報源となる」として、「多くの人がアメリカでの直接経験がないなかで、歪んだアメリカの生活イメージや、アメリカ人像を受け入れる」ことに危惧を示している。
現在、これら対外情報の国際的影響力は、近年の放送衛星による情報のグローバル化のなかで盛んに議論されている問題である。当初、これらは放送のような電波メディアならではの漏れが議論の中心であった。一方、ケーブルによる情報網の世界的発展によって、この議論は、もはや漏れ入りや特定地域のメディア企業の力など政策的議論の枠を大きく超えて、地域アイデンティティとソフトウェアとの関係に議論の主眼が置かれるようになってきた。文化支配は、単に産業基盤を奪うだけでなく、表現の基盤となるアイデンティティにまで影響を及ぼすといった議論にまで拡大したのである。
これらの文化情報の国際関係については、ハリウッドのヨーロッパ進出に見られるような文化帝国主義への批判を顕著な例にあげることができる。この批判は、巨大資本と大量の広告、およびその流通ルートを確保したアメリカの映画産業に向けられたものであり、異なった文化的背景を持つヨーロッパで、支配的な価値観念のアメリカ化を懸念するとともに、市場支配のなかで自国の生産能力を減退させるものとして、文化情報の輸入に対して一定の規制をかけたものであった。この事例は、メディア産業の構造を、文化情報の「送り手」として論じたことが、マス・コミュニケーション論的に大きな意味を持つ。文化情報の「送り手」を論じることにより、すでに述べたの「メディア効果論」や「メディアの利用と満足理論」が、ハリウッドのような国を越えるパッケージメディアの「受け手」にまで広がったからである。
こうした事例は、人種表現の問題が、単に、ある人々の、ある地域の、ある時代の、あるメディアの、といった枠を越えて、より普遍性のある問題であることに気づかせる。
たとえば、テレビも文化情報の「送り手」として注目されており、人種表現は「コンテンツ」なのである。拡大した文化情報の「マス・コミュニケーション化現象」とでも名づけられるような様相を呈しているといえよう。このようなメディア内容は、こうして異なった文化を横断するときに、様々な価値観との対峙に直面する。人種表現は同様に、異なった文化の様々な価値観に対峙するとき、再び科学的批評を求められる。
七. 結論
以上、1960年代から1990年代まで頻繁に行われてきた北米における「人種」表現の内容分析研究の成果を、結果そのものではなく、マスコミュニケーション論との関りで概観してきた。
本論の結論では、「人種」表現の内容分析研究の成果を、現代日本で応用する上で、いくつかの視点を提供しておきたい。
第一に、テレビの産業変化と内容の変化の関わりを考察することで、テレビの人種観の姿勢とその問題点が明らかになるという点である。こうした研究は、制度としての放送の歴史研究や、テレビの外国輸入番組が減少してきたことを明らかにする研究や、広告における外国人スターの増加に関する研究でこれまでの蓄積がある。これらの蓄積を、エスニシティという枠組みで再解釈することが必要かと思われる。
第二に、公民権運動を背景に、内容分析調査は単にテレビの記述やプロフィールに終止しているのではなく、現実に起こされたアクションについての社会学的機能の充足についての視座を提供しているということである。国際化をめぐるアクションについても、メディアの分析から、現代の日本の構造を分析できるであろう。
第三に、公民権運動やそれに続く女性運動のなかで、テレビの人間像に変化があったことが内容分析で明らかになりった。動的な社会のなかで人間像の変化がみられた事例は、社会背景の違いを超えてメディアの人間像に関する分析に貢献すると思われます。国際化のなかでの日本のテレビにトーケニズムはないのか、今後、時系列的な調査を続る意義を、アメリカの研究は示している。
第四に、第五項でみてきたように内容分析研究の問題意識と知見から、公民権運動で掲げられた要求が、アメリカの内容分析調査の方法論に象徴的に反映しているのではないか、という仮説を導きだすことができると思われる。国内の内容分析研究では、このように背景となる社会現象に対する経験的な研究に基づくことで、独自の問題対象と知見を得られると提言ができる。
註
1) 本稿で「」付けで用いられる「人種」「外国人」「黒人」「少数派」などの用語は、概観の対象となった研究論文の方法の調査項目を表し、翻訳上また調査上の操作的な使用の範囲を越えない。
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